伝説の講義

IT研修講師のブログです。

やましろさんとの思い出、そして送別会 #ymsr

下書きのままにしてたらしいので、こんなに遅れて公開。

自分語り

元々生まれついての運命なのか、私は小さい頃から身近な人がいきなり亡くなる体験を度々体験していた。仲の良かった友達が突然事故死するとか、担任の先生が、夜呑み過ぎて田んぼに落ち、亡くなってしまうとか。また心臓が弱い家系なので、親戚の死因はほとんどが突然の心臓発作。去年も身内を亡くし、あとついでに愛猫もたった2週間で亡くすといった不幸が立て続けに起きた。流石厄年半端ない。

その結果、どんなに親しい間柄でも、挨拶もなしに突然別れを告げられる可能性は常にある、死はごく身近にある、という認識を持ちつつ育つことになった。だから人の死に対して割と冷淡なリアクションになるのは、少し申し訳ないとは思っている。

またこれは同時に、自分に対しても同じ事が言える。自分の近くにも死神は常にいて、たまたま鎌を振り下ろさないだけだ。だからこそ、自分は行動指針として「会いたい人に、会えるうちに、会いにいく」を強く意識している。

Twitter / yokatsuki: 明日は再び天神へ。会いたい人に会える時に会いに行く。いつ死ん ...

今回のやましろさんの話は、そんな沢山の人との別れの中でも、強く記憶に残る一件になった。

昔話

やましろさんと初めて会話したのは2009年6月、twitter上でだった。

それ以前は、と記録をひっくり返してみたところ、そもそもtwitterを始めたのが2009年1月で、更に自分がこういうコミュニティ活動に参加し始めたのがそれと同じ頃のGLT(Genesis Lightning Talks)だったので、かなり早いうちからネットワーク上ではやましろさんを認識していた事になる。きっかけはGLTの常連である @regtan がjava-jaJiemamy Projectの話をしてくれていたので、恐らくはそこからではなかったかと思う。

その後、やましろさんとは色々なイベントで会うことになるのだが、一番印象に残ってるのは、なんといってもアジャイルサムライ他流試合だった。

この時、ビアバッシュの仕切りの詰めが甘かったため、彼が残り必要な一切合財の仕切り全てを巻き取ってやってのけたのだ。このあまりにも華麗な仕切りっぷり、そしてキンキンに冷えたエビスビールの旨さに感動した会場から「(マスター)ピーザ!(マスター)ピーザ!」の大合唱が起き、やましろさん最初は喜んでいたものの『それただのデブじゃねぇか!』と返したやり取りはとても強く印象に残っている。

その他にはホーム?であるjava-jaの勉強会や @kwappa と @ShiroKappa が邂逅したかっぱサミット、それから @akitsukada 主宰のDBリファクタリング読書会 第一回にも来てもらったような。

あるイベントの帰り、総武線津田沼行の車内で「かつきさん、かつきさんの周りで誰かいいこいたら、紹介してくださいよ」と言われ、条件を聞き出していくと(主に年齢の面で)私がアクセスできるクラスタとは程遠いことが判明し、そっとリクエストをフェードアウトさせたのは、今でも若干申し訳ないと思っている。

経緯

やましろさんの訃報を聞いたのは、実際に亡くなった12月3日のずっと後、12月27日の夜だった。Messengerで話をしていたところ、話題としてやましろさんが亡くなった話を伝えられたのだ。

実は11月頃から、やましろさんが暗黒面に堕ちてしまった様な話を人づてに聞いていて、心配にはなっていた。しかし当時彼の置かれていた立場と彼の主張を考えると同情するところもあり、心を壊さないようにと同時に強く生㌔と願っていた。

しかし、彼はその後直ぐに亡くなってしまうことになる。あの時に何か協力できることが、果たして自分にはあったのだろうか…。

送別会

ymsr送別会の案内は、やましろさんに親しい人達をフォローしていたお陰で、直ぐに見つけることができた。java-jaの人達程プライベートでも親しかった訳でもなかったので少しだけ躊躇したけど、増員をきっかけに申し込んだ。

それから、案内のどこかで「妹さんが来られて説明します」的な文章を見つけたのだが、もしかしてこれは女装したやましろさんが登場してちゃんちゃんというオチ…かも知れないと、本物の妹さんに会うまでは少なからず思っていた。というより願っていた。が正しいかもしれない。

会が始まってからの詳細は、もう既に沢山の人がブログで書き残しているので、そこは説明する必要はないだろう。とにかく彼の仲間達らしい、独特の"照れ隠し"や"不器用さ"が見える、大騒ぎなイベントになった。

ただ一つだけ、このヨシオリさんのLTだけは、大いに泣いた。

my friend // Speaker Deck

送別会は2次会まであり、そこで妹さんから彼が亡くなった時の詳しい経緯や、とても妹思いなお兄さんという、また違った彼の一面を窺い知ることができた。プライベートでも文字通り良い兄貴分だったそうだ。

 

後日、送別会のゲームで使った、彼の名言?を吐く画面が公開された。

ymsr名言STREAMS

新しく言葉が追加されることは無いけれど、彼の思想はこうしていつまでも身近な参照できる所に存在し続けて、いつでも引用することができる。ネット上で生き続けるという表現は大げさではないと、実感する。

やましろさんのアツさには色々と影響されることが多かった。技術も未だに彼には及ばない。彼も向こうで何かやってるだろうから、行くならもうちょっと修行してからでないと申し訳ない、と思っている。

技術者育成の現場

このエントリーは『DevLOVE Advent Calendar 2013 「現場」』、44日目の勝又さんに引き続き45日目の記事です。
本来のアドベントカレンダーは、12/1に開始して12/24が最終日だそうで、そういう節目の日に担当できるのがちょっと嬉しかったりします。
(ええ…いくら世の中が浮かれていようが、現場はそこにあり続けるんですよ)

 

自己紹介

yokatsuki(よかつき)です。外資系ベンダーで自社製品の技術トレーナーをかれこれ10年近く担当しています。その他の業務経験としては、福岡の支社でプリセールスエンジニアを4年程やっていたり、更に昔には社内システムの開発運用をやっていたりしていました。

 

自分にとっての現場

トレーナーにとっての現場とは、講習を実施する教室と考えるのが一般的だと思います。確かに教室で過ごす時間は1日あたり7時間で、それが3~5日続くのですから。
しかし、教室が現場である、というイメージに囚われ過ぎると、教室で起きること以外に関心が向かなくなってしまい、「いかに講義時間を美しく演出するか」と考えてしまいます。こうなると、受講者に必要な知識や技術を提供するという本来の目的から逸れてしまっているのは明らかです。
受講者は、受講者それぞれに開発なり運用の現場を持ち、そこで役に立つ知識や技術を学びに来ている訳ですから、トレーナーはその「受講者それぞれの現場」を意識して講習を進めるべきだと思っています。

 

変わる技術者育成の現場

技術者育成の現場は、基本的に開発や運用の現場とイコールであることは今も昔も変わりありません。
現場経験から学ぶのは実践的で良いことではあるのですが、開発や運用の現場から学ぶスタイルだけだと、外部からの知恵が流入しないので、地道なカイゼンはできても急速な進化が難しい面があります。また、現場で使う/使わないの違いで知識に偏りが発生するので、既に存在する効率的な近道に気付かず、けもの道的な解決策を延々と受け継いできた、という場合も存在します。
余談ですが、外部との交流を絶った現場には、正しいノウハウが育たず都市伝説が跳梁跋扈する傾向があるようです…「性能を上げる為に、SQL文は全部大文字にしろ」とか…実際測ったことあるんですかと。

さて、このように現場では不足しがちな体型だった知識をベンダーが提供しているのが有償の講習になる訳ですが、この提供スタイルが、今大きく変わりつつあります。
現在の講習では、受講者は演習環境を配置した教室に来てもらい、そこでトレーナーがface to faceで講義や演習を提供する形式になっています。しかしこのスタイルでは受講者が長期間講習に拘束され、開発や運用に支障をきたす場合が多くなってきました。それだけ一線の技術者は忙しくなってきている様です。
この状況に対応するために、オンラインでの教育サービスが各社で始まっており、これを専業にするビジネスも、アメリカを起点として盛り上がりを見せているようです。参考
トレーナーとしても、既に実施できる講習を延々と繰り返し実施するのは、トレーナー自身の成長という点から見るとできれば避けたい事で、オンライン教材として提供できれば、「自分でできることは自分でやらない」が実現でき大変都合が良いのですが、中には自分の仕事が奪われると戦々恐々な方も居るようです。そういう人はたいてい新しい講習の提供にチャレンジする意欲のない人なので、コンテンツの拡充と共に滅びれば良いと思っています。

話を元に戻しまして、オンライン教材が従来型の講習にとって変わるかというと、まだ不足している点を感じます。

  • リアルタイムな質問対応
  • 受講者のモチベーション管理

特に、受講者のモチベーション管理に関しては、こちらの過去記事「[FT]オンライン大学は米国の教育危機を救えない :日本経済新聞」に挙げられているように、先に取り組んでいるアメリカで踊り場を迎えているようです。こちらの記事で書かれた「馬を水辺に引いていくことはできても、水を飲ませることはできない。」をいかに解決するかは、今後のオンライン教育サービスの重要課題だと思っています。

追記:日本では、ソシャゲのノウハウを応用する形での発展が始まっているようです。Edtech「学習アプリ」プレイヤーたちのポジショニングとマネタイズ
これも独自の進化だなぁと興味深いです。 

 

次の方へ

次の現場を語って頂く方はYHさん、現場と法務の優しい関係。です。よろしくお願いします。

40になりました。

まだまだ惑ってばかりの40です。

男性の、数えで41は前厄だそうです。さすが厄年に入っただけあって、親しい者が次々と不幸に見舞われる状態が続いています。親戚が次々と病気で入院し、愛猫も病気が発覚してたった2週間で逝ってしまいました。

厄は本人ではなく、周りに振りかかると言います。流石にこれはまずいという事で佐野厄除大師に行っての厄祓いするも、即効性ではないらしく、退院した身内が急逝するという不幸が直後に発生し、今週葬儀とその後のお金面の処理がひと通り終わったところです。

2週連続で火葬場行きなんて体験をすると、死の気にアてられるというか、生命力を著しく奪われます…トドメに強烈な風邪をもらい、木曜から今日まで寝ながら過ごしています。東京に戻れるまで回復するには、もう少し時間が必要そうです。仕事や他勉強会等に色々穴を開けてしまい、関係者にはご迷惑をお掛けしています。本当にすみません。

小さい頃から親しい人が突然亡くなる経験はあったので、人は望む望まないに関わらず突然死ぬことがある、という実感は持っていました。しかし、40年生きてきた今の時点で改めてこの事を考えると、自分がその対象になる確率は、少なくとも20代の頃と比べると確実に高まってきているんだなぁ、この世での活動時間は意外に残されていないのかも…これからの時間の使い方は見直す必要あるなぁ、となんとなく思っています。

とは言え、好きな事をやるのが本人にとって一番幸せなのは間違いなく、これからも自分にしかできないことで、周りに喜んでもらえる事はどんどんやって行きたいと思います。今後共ご贔屓に。

 最後に、お祝いメッセージ本当にありがとうございます。去年からやろうやろうと思っていて実行できなかったwishlistを貼らせて頂きますので、こちらもよろしくお願いします。

 甲木洋介のほしいものリスト http://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/L6SFQ3ZTWQMD

きっかけ

ある日、社内の講師仲間と昼食を摂っている時に、こんな話をしました。

 伝説の講義って、あると思う?
 もし存在したら、どんな内容だろう?
 伝説の教室に居合わせた受講生は、どんな反応をするだろう?
  そしてその後の人生に、どんな影響を及ぼすことになるだろう?

そんな妄想話でしたが、この話が今でもずっと気になり続けています。

 職人だったら、伝説に残る製品を作りたい。
 役者だったら、伝説に残る芝居を打ちたい。
 選手だったら、伝説に残る試合をしたい。

講師の私は、伝説の講義を残してみたい。